November 16, 2007

Who's this lady? Siti Nurhaliza!



Do you know about this lady? This is Siti Nurhaliza, my favorite pop singer from Malaysia.
I took these photos of the paintings at Central Market/Pasar Seni in Kuala Lumpur 2 years ago.
One is a painting of dancing Siti, and the other is Siti wearing tudun(scurf).
皆さんこの女性をご存知ですか?彼女の名はシティ・ヌルハリザ、マレーシアのトップシンガーです。
私がマレーシアにハマった理由の一つが彼女の歌で、彼女の曲の歌詞を日本語や英語に翻訳する作業を通じてマレーシア語の勉強もしています。
上記の写真2枚は、2年前にクアラルンプールのセントラルマーケットで撮ったものです。土産物屋に混じって油絵を描いていた人がいたので、その人の作品と、もう1つは同じくセントラルマーケットの2階にある錫製品店で撮ったものです。
写真額縁はマレーシア・セランゴール特産品の錫製です。多分店主がシティのファンなのでしょう。

She was born in 1979 in Pahan state, and brought up by musician parents.
Her debut album "Siti Nurhaliza" was released in 1996, and she has been a top musician in Malaysia since now.
In 2007 she married to Datuk Khalid. Now she is Datin Siti Nurhaliza.
Now Datuk Khalid became all Malaysian guys' enemy....!

彼女のプロフィール: 
フルネームはシティ・ヌルハリザ・ビンティ・タルディン(Siti Nurhaliza binti Tardin)、1979年1月11日にマレーシアはパハン州トュルムロー村に、7人兄弟の4番目として生まれます。音楽家の両親の影響で、10歳代の頃から歌手を志望し、地元の歌唱コンクールで優勝したのをきっかけにスカウトされ、プロデビュー。
1996年にデビューアルバム「シティ・ヌルハリザ」をリリース以来、現在までずっとマレーシア、および隣国ブルネイやインドネシアなどでトップ路線を走り続けてきました。
2007年、ダト・カリッド氏と結婚。何と20歳年上で、シティを第一夫人に迎えるために離婚し、間髪入れずにシティと結婚。当時二人の結婚式・披露宴は全国テレビ生放送され、マハティール前首相やインドネシアのトップ歌手・クリスダヤンティまで駆けつけたほどのド派手なものでした。
ピンク色のウェディングドレスに身を包むシティが、自身が作詞した曲「Cerita Cinta(愛の物語)」を歌う場面は圧巻です。
話を本題に戻します。
民族はマレー系。(報道を見る限りは)非常に敬虔なイスラム教徒で、数回家族とともに聖地メッカ巡礼を経験済み。
好きな飲み物はお白湯(air suam)と、南インド風もといマレーシア風ミルクティー(Teh tarik)。

I'm going to show you the lyric of my favorite Siti's song, "Balqis" from her album "Sahmura" released in 2000.
I'm studying Bahasa Malaysia(Malay language) by translating her songs by myself, or with my friends' supports. Terima kasih(Thank you)!
Let's study Bahasa Malaysia and Islam together.
Here we go!
これから少しずつ、シティの魅力と歌の歌詞を紹介していきたいと思います。
まずは彼女の2000年ミレニアムにリリースされたアルバム「シャムラ(Sahmura)」
から、『バルキス(Balqis)』という曲の日本語・英語歌詞を紹介します。
バルキス、またはビルキースというのは、いわゆる「シバの女王」の名前で、旧約聖書やコーランにも登場する、ユダヤ・キリスト・イスラム教社会で有名な伝説的人物です。
彼女は現在の中東イエメン、またはアフリカのエチオピアのサバァという土地に、非常に繁栄した国を治めていましたが、ある日彼女の国が太陽を拝んでいることを知った預言者スレイマン王(旧約聖書ではイスラエルのソロモン王のこと)が、全知全能の神を差し置いて太陽など拝むとは罰当たりであるという手紙を女王へ寄こしました。
しかし女王はスレイマン王に従わず、しかし手紙を無視するのも危険なので、贈り物を山ほどスレイマン王へ届けて様子を見ることにしました。
スレイマン王は、「何だこれは?私への贈り物はアラーの恵みだけで十分。なぜ彼女はそれが判らないのだ。」
スレイマン王は精霊に命じて女王の玉座を盗ませ、玉座の飾りを変えてしまいました。
女王はスレイマン王のところへ赴くと、スレイマン王は「これはあなたの玉座かな?」と訊きます。しかし女王はアラーを信仰していないので、それが自分の玉座とは判りません。
女王はまるで鏡のように磨きぬかれたスレイマン王の城の床を水面だと勘違いし、ドレスのすそをたくし上げて床を歩くと、スレイマン王は女王の滑稽さを笑います。
女王は赤面し、「私は今までアラーの恵みを感じぬまま生きてきたゆえ、このような無様な真似をしてしまいました。これからは私もアラーを信じ、ただ真実のみを見て生きていこうと思います」と、信仰告白、つまりイスラムに改宗したのであります。
以下の曲「バルキス」は、繁栄した大国の女王ですら帰依したイスラム教の素晴らしさ、スレイマン王とアラーの神の慈悲深さを讃えた歌です。
ちなみにスレイマン王とシバの女王の間には、ひそかなラブロマンスが生まれたという伝説があるとかないとか・・・・。
ごめんなさい、私ブログに動画を埋め込む方法知らないんで、とりあえずリンクだけ貼っときます。
YouTubeなどの動画集サイトで"Balqis, Siti Nurhaliza"と検索すれば、シティのPV「Balqis」が見られます。
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Title: Balqis
Album: Sahmura/2000
Music: Pak Ngah
Lyric: Hairul Anuar Harun

Biar apapun rupa yang terbina
whatever shape that was built
どんな影が立ち込めても

Takkan gentar merata kehendaknya
never afraid of his will
決して神の意志を恐れることはない

Terdengarlah bicara tersembunyi
suddenly hear the hidden word
突然隠された言葉を耳にした

yang tertebar di langit dan bumi
which is scattered in the sky and on the earth
空と大地に飛び散った神の言葉を

Siapakan yang mampu menundukkan bayu
Who can defeat the breeze
誰がこの風をかき消したのか

Siapakan yang tahu hanya ada satu
Who knows that there is only one
誰がこの世に唯一無二のものが存在すると知っているのか

Tirat titah setia ratu kota
The way that is asked by the queen of the city
とある街の女王が示した道

Lirik mata yang cerah bak sahmura
The eyes glance as bright as sahmura
シャムラ(ペルシャの詩人?)の如く輝く目

Singgahsana nan indah tak terperi
How beautiful the castle of King Solomon is
あまりにも美しいスレイマン王の城

Halus santunnya wajah bidadari
Very polite and decent with a beautiful face like an angel
彼は天使のように美しい顔を持ち とても上品で気高い

Siapa yang mengutus surat keajaiban
Who is sending a miracle letter
誰が奇跡の手紙をよこしたのか

Siapa yang menghunus rebah di pelukan
Who is unsheathe, fall in a hug
誰が深く立ち込める霧をかき消したのか

Lai lai lai lai lai lai lai lai lai lai lai

Bisakan jelita luruh kuasa
How can a beauty lost its power
どうして美女(女王)は力を失ったのか

Lai lai lai lai lai lai lai lai lai lai lai
Terpukau hatinya demi sakti kurnia
Her hear charmed with his natural magic (mu'jizat) (in Islam we don't call magic, it is call mu'jizat)
彼女の髪は 彼の魔法で美しく飾られた

Laksana terkatam tiada diilham
Like ended without any idea
何も考えずに終わったかのよう

Segala ternyata hanya sekelip mata (Syahadah!)
Everything was realized within a blink (shahadah)
すべてが瞬く間に叶えられた(信仰を告白せよ!)

Terpedaya istana kaca
The glass castle was influenced
スレイマン王のガラスの城は 女王の脚を水面のように映し

Terkesima kata mulia
Surprised with good word
(女王はスレイマン王の)美辞麗句に驚き

Seribu utusan
Thousand of messenger
千人の預言者

Mahkota hiasan
Decorated tiara
美しい王冠

Membingkis berita
Bringing a news
使いが知らせを持って来た

Damaikan dua kota
Peace! on the both city
平和が双方の街に訪れた

Agungnya suara sucinya sang cinta
Great voice of a neat love
偉大なる神の愛に満ちた声

Bertemu di alam pesona
Meeting in the world of charm
この美しき世界で出会い

Bersatu di dalam cahaya
Gathering in the light
聖なる光のもとに集まった

Semilah permata kashinya
Glow! the diamond of love
瞬きよ 愛の宝石よ

Di puncak singgahsana (Syahadah!)
On the pinnacle of the castle
スレイマン王の城の頂点で シャハーダせよ!
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【Notes】

シャハーダ(信仰告白)はイスラム教の五行のひとつである。「アッラーフ(神)の他に神はなし。ムハンマドはアッラーフの使徒である。」とアラビア語で唱えること。
ムスリム(イスラム教徒)の前で、多くの場合はモスクにおいて宗教指導者の前で、アラビア語でこれを唱えることが、ムスリムとなる最低限の条件である。
シャハーダさえ行えば、その瞬間からムスリムとして認められ、イスラム共同体(ウンマ)の中に迎えられる。

【イスラム教の五行】
1.シャハーダ(信仰告白) Syahadah
2.サラート(礼拝) Salat
3.ザカート(喜捨) Zakat
4.サウム(断食) Puasa/Saum
5.ハッジ(聖地メッカ巡礼) Haj/Haji ・・・ワシら異教徒はメッカに入れません



いかがでしたか?

イスラム圏、特にマレーシアやインドネシアはポップ音楽にコーランのエピソードを引用して載せることがよくあり、かの国の人々は歌を通してイスラムの教えをよく噛み締めているのだなぁと感心したものです。



ところで我らが日本の神道や仏教には、こうした宗教的な歌、キリスト教におけるゴスペルに当たるような歌が無いのはなぜでしょうか?

どなたかご存知の方いませんか?



確かタイやビルマなどの小乗仏教では、僧侶が楽器を奏でたり歌ったりするのは戒律に反するのだそうな。

あるビルマ人が、「ビルマの竪琴」の映画を見て、水島上等兵が剃髪して出家したにも関わらず、まるで俗人のように竪琴を奏でる場面で困惑したそうです。



とにかく、日本人には馴染みの薄いイスラムへのとっかかりとして、Balqisの鑑賞をお楽しみ下されば幸いです。

November 15, 2007

Fairies of Lotus from Vietnam





















I saw this Vietnamese dancers in Yokohama a few years ago. I was amazed by their beautiness and dynamic dance. Their crowns are petals, their dresses are flowers, and their hands are leaves of lotus.
Their dance similars to Korean traditional dance of fan, isn't it?
I'm going to show you my collection of beautiful things around me on this blog. If you're free, check them out!

November 14, 2007

Special Permission

皆さんこんにちは。初投稿は私の友人からの朗報についてです。
左の写真向かって右から3名の一家は、ビルマ(ミャンマー)からやってきた私の友人です。昨日、左から2番目の彼女、友人CCTさんから携帯メールで「みなさんのおかげでざいとくがおりました」と告げられました。
思わず私の顔から笑みがこぼれ、「神様ありがとう、Alhamdulillah!」と心の中で叫びました。やっぱり神様っているんだな・・・・。Alhamdulillah(アルハムドュリッラー)ってのはアラビア語で「神様のおかげ、神様ありがとう」という意味で、世界中のイスラム教徒がよく使う言い回しです。なぜ私がムスリム用語を使ってるのかって?それはまたおいおい説明しますが、現在マレーシア人の友人にイスラム教とマレー語を学んでいるから、ということと、その言葉の響きがとても美しいからです。

この一家は今から約10年前、ビルマから日本へやってきました。ご存知のようにビルマは軍事独裁政権が長年続いていて、国民は政治批判はもちろん、デモや集会や自由な言論・報道もままならない状態です。しかもCCTさんの祖父は民主化運動家で、孫娘のCCTさんも当局にマークされており、もし一家がビルマへ送還されたら確実に投獄され、拷問の日々、最悪の場合死が待っていることでしょう。

私がCCTさん一家と出会ったのは、地元地域に住む外国人住民の生活相談窓口の通訳ボランティアとして働いていた頃です。私は、日本人の夫を持つフィリピン人の友人とともに、区役所窓口で英語と中国語の通訳を務めていました。
ある日彼女が「面白い会があるから寄ってって」と言って、連れて行ってくれました。その会はAPFS(Asian People Friendship Society)という、主に不法残留外国人の特別在留許可を要求したり、外国人労働者の賃金未払いなどのトラブルを解決するNGOが主催の国際交流パーティーでした。

公式HPはこちら→http://www.jca.apc.org/apfs/

どうやらここでは、不法残留者や不法就労者を「非正規滞在外国籍住民」などと呼んでいるらしい。もはや日本は移民なしでは成り立たないんだ!国際化の時代に逆行するな!という叫び声が聴こえてきそう。何だか問題の本質をわざとぼかしているようで、胡散臭い・・・・。

ま、それはともかく、CCTさん一家と仲良くなり、たびたびメールを交換する仲になりました。約束や待ち合わせ時間は必ず守り(日本人より時間厳守)、ビルマの祝日にはビルマ料理をふるまってくれる、大変真面目で親切な人びとでした。
そんなCCTさん達が長年の苦闘の末、やっと念願の在留特別許可(special permission for residence)を得ることができました。


さて、CCTさんの祖国ビルマは、なぜ軍事独裁政権が長く続いているのか?それを考察するには、イギリスによるビルマ侵略および植民地統治から始めなければなりません。

1600年東インド会社というアジア植民地統治株式会社を設立し、19世紀初頭すでにムガール帝国のインド、バングラデシュを支配したイギリスは、1824年ビルマに侵攻、3度の戦争(英緬戦争/Angro-Burmese Wars)を経てビルマ王朝を滅ぼし、国王と王妃はインドのボンベイ(ムンバイ)へ流刑、王子や男系一族を虐殺、王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その娘、つまり国王の孫娘ツツは「最貧困層に身を落とし、スラムで造花を売って生計を立てている」(インド英字新聞The Hidustan Timesより)という、あまりにも悲惨で過酷な支配を始めました。

もしこの時代に日本が国策を誤ってイギリスやその他白人国家に侵攻されていたら、天皇家は確実に滅ぼされ、日本人のアイデンティティー・国家への帰属心や求心力・民族の誇りは粉々に砕かれ、二度と再建できなかったことでしょう。そして植民地にされ、現在の経済大国日本は決してありえませんでした。

しかし大東亜戦争(太平洋戦争)のさなか、ビルマは日本の支援を得て、かのアウンサンスーチーの父・アウンサンは独立義勇軍を結成してゲリラ活動を開始し、これがビルマ独立の基礎となります。しかし日本の敗色が濃くなるとイギリス連合国側に寝返ったのです。最後まで日本側についていると、戦後敗戦国として裁かれ、再び植民地に戻ってしまいますからね。日本としては心苦しいですが。

しかし今日のビルマ人は大変親日的で、日本のおかげで祖国が独立できたと認識しています。作家の深田裕介氏も驚いていましたが、今もビルマ独立記念日でビルマ軍の行進曲として流れる曲は、日本の軍艦マーチ「守るも攻めるも鉄(くろがね)の~浮かべる城ぞ頼みなる~」です。

しかし独立後もビルマの歩みは決して平坦ではありませんでした。帝京大学教授で元産経新聞編集委員の高山正之氏のコラムから引用します。

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<前略>
おとなしいビルマ人がこの王家の悲劇を語るとき、本当に怒りで唇を震わせる。
英国は国王を追放したとき、ついでに黄金の玉座も失敬した。戦後ビルマ政府は国連を通じて玉座の変換を英国に求めたが、戻ってきた玉座は穴だらけ。はめ込まれたルビー、ダイヤモンドなどの宝石が全て盗られていた。
そういう過去があるから、ビルマは独立するとすぐに英国の臭いのするものは全て排斥した。ヤンゴンの外国語大学も、英語を教科から外し、日本語を入れた。交通ルールもそのとくに英国流の左側通行から右側通行に変えた。

国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが三十年もたって英国人の妻になって戻ってきたとき、ビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)。骨の髄まで嫌みな英国人なのである。

英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。
ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。
だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。
しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。

中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。

ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
“英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。

今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。
だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。

そのビルマに、もっと苦しいはずのユーゴスラビアが3,000ドルもの経済援助を約束した。

妙な話には裏があって、「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背後にいて」(産経バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。

中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってビルマの首を締め上げているのは間違いない。

腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。

(高山正之「異論自在」 ~ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで・・・  より)

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中国が1998年から2003年の6年間に、アフリカ諸国や中米などに支出した対外援助額は、計271億元(4,250億円相当)に上るそうです。 日本は中国に24年間で計3兆3億円のODAを援助しており、世界開発銀行等の分を含めれば、6兆円をはるかに超えます。 その中国が、いったい何様のつもりなのか、昨年は815億円相当も他国に経済援助をしています。 これは大半は小口の無償援助分で、中国企業が受注する“ひも付き”の大型プロジェクトは含まれていないので、援助実態はさらに巨額になるそうです。 そしてビルマにも大規模な発電所建設支援に乗り出しています。 ビルマの総発電量の約4割は日本の支援で建設された発電所によるものですが、中国の有償援助で進められている11カ所の発電所が完成すれば、中国の援助を受けた総発電量は6割に跳ね上がります。

このように中国はビルマの軍事独裁政権を支援し、軍艦をビルマの海に浮かべ、ビルマを踏み台にし
て石油輸送ルート、いわゆるアジアのライフライン(生命線)を掌握することによってアジアの覇権を握りつつあります。ビルマを支援するように見せて、実は中国はビルマを再び植民地にしようとしています。

これと同じように、中国は印パ国境のカシミール地帯を巡る紛争で、パキスタンを軍事的・経済的に支援=支配しています。どちらも石油ルートを確保するためです。

しかも中国は日本からの支援ODAを、これら「踏み台」としている国々に支給しているのです。日本国民、納税者の1人として、あこぎな中国と無計画で初心(うぶ)で意気地なしの日本に対し、非常に憤慨しています。

今日のビルマは、中国から傀儡扱いされ、イギリス植民地時代の傷跡に苦しみ、国内にイギリスが送り込んだ人間爆弾・華僑&印僑という不安分子を抱え、経済成長はほとんど中国系資本に支えられて民族系資本が育たず、にっちもさっちもいかない状態です。

そんなビルマの首都ヤンゴン(旧ラングーン)で、2007年8月15日に僧侶による民主化要求デモが始まりました。

ビルマ政府は軍隊を派遣してそれを阻止しようとし、発砲。同年9月27日、APF通信の契約ビデオジャーナリスト・長井健司さんが射殺され、遺品のカメラが軍に没収されました。

CCTさんら原告は在留特別許可をめぐる裁判で、すかさず「このような事件から見ても判るとおり、ジャーナリストまでも無残に殺す軍事独裁政府が支配するミャンマーに原告を送還するのは、明らかに人権侵害である」と主張しました。

そして2007年11月13日火曜日の判決・・・・・「原告に在留を特別に許可する」。

私は翌日CCTさんに電話をかけ、祝いの言葉を述べた。「おめでとう!これで息子さんを大学に行かせられるし、CCTさんの夢もかなうね。」

CCTさんはいつも奥ゆかしい人で、いつも感謝の気持ちを忘れない。ひたすらありがとう、ありがとうと言うばかり。来月には弁護士やAPFSのスタッフを招いて感謝パーティーを開き、銘酒ミャンマービールと手作りビルマ料理をふるまってくれるそうだ。

何という謙虚なひと。私はかつて在日韓国人の歴史教科書改訂に反対するデモ行進を見たことがある。扶桑社出版の「新しい歴史教科書」の内容がケシカラン、歴史を歪曲し在日に対する民族差別を助長する云々、を主張していた。後に彼らの要求はほぼ通るのだが、彼らからまともな礼を言われた日本人支援者はどれほど存在するのだろう。そもそも在日は自分達が日本に永住できることのすばらしさを、このCCTさんのように痛感しているのだろうか。このような在日さんは全体のごく一部だと解っているが・・・・。

話をCCTさんに戻そう。

私は彼女に在特が下りた事が、まるで我が事のように嬉しかった。こんなに幸せな、清々しい気分になったのは久しぶりだった。なので勤務先の近くの神社へお礼のあいさつをしに行った。

まるで神様の申し合わせのように、突然起こったヤンゴンの「サフラン革命(Saffron Revolution)」(僧侶の袈裟の色がサフラン=ウコン色なので、欧米メディアではそう呼ぶ。東欧のチューリップ革命、オレンジ革命とかけているのか?)。

長井さんとその遺族にとっては少々語弊があるが、CCTさんを応援してきた私にとっては、まさに天佑としか言いようがない。

CCTさん以上に、私自身が神様にありがとう、ありがとうと言いたい気分だった。

在特をきっかけに、これからCCTさん一家は日本社会の一員として、改めてスタートを切ることになります。

私は心からあなたがたの門出を応援します。

そして日本で思い切り人生を楽しみ、たくさんの夢をかなえ、ビルマと日本の架け橋になって下さい。

November 9, 2007

初投稿のあいさつ

皆様初めまして。Emikoと申します。

ブログタイトル「Taman tuhan-tuhan」は「タマン トュハントュハン」と発音し、マレーシア・インドネシア語で「神々の庭」という意味です。

多神教である神道をベースに、仏教や儒教やキリスト教といった宗教から始まり、世界のあらゆる文物を幅広く、しかも自分のサイズに合うように上手く取り入れ、生かし、さらに新しく良いものを生み出してきた日本の風土のように、当ブログで幅広い事柄を扱い考察していきたいと思い、命名しました。

できるだけ多くの国々出身の多くの人々からの閲覧・レスポンスを期待しているので、文章は英語と日本語と少々のマレー語で書かせていただきます。もし表記にミスを発見された方は教えて下さい。

これから私の見聞きした、様々な事象について、時に楽しく、時にシニカルに書いていこうと思います。どうぞよろしく。

November 8, 2007

HAJIMEMASHITE(Nice to meet you all).

Dear readers,

I am Emiko. I'm a Japanese big fan of Siti Nurhaliza, and Shahrukh Khan, working for a wholesaler of medical & educational equipments in Tokyo.
Siti Nurhaliza is the top singer from Malaysia, and Shahrukh Khan is a big star of Bollywood movie/Indian movie.
I'm going to talk about my life, opinion, hobby, favorite food, not only Siti and Shahrukh on this blog.
Let's enjoy everyday!