December 19, 2007

Eid Mubarak!


2007年12月20日。
大多数の日本人にとっては何の変哲もない平日。そんな本日はイード・アル・アドハー(イスラム教の聖地巡礼/犠牲祭)である。
マレーシア・インドネシア・ブルネイ・シンガポールではまたはHari raya Aidiladha(ハリ・ラヤ・アイディルアドハー), Hari raya Idul-Adha(ハリ・ラヤ・イードュルアドハー), Hari raya Korban(ハリ・ラヤ・コルバン), Hari raya Haji(ハリ・ラヤ・ハジ),Lebaran Haji(レバラン・ハジ)と呼ぶ。


英雄アブラハム

ユダヤ民族の始祖であり、聖書にもその名を記す偉人・アブラハム。
彼はイスラム教の聖典コーランにも預言者(神のメッセンジャー)の一人として、イブラヒームというアラビア名で登場している。

今から約3000年前、神はある日イブラヒームに、やっと授かった大事な息子・イスマイル(旧約聖書ではイシュマエル)を神へ捧げよと命じる。
イブラヒームは迷いに迷い、悩みに悩んだ。
息子を取って信仰を捨てるか、信仰を取って息子を手にかけるか。究極の選択を迫られたイブラヒームは、結局息子を神に捧げることに決めた。

この一神教の持つすさまじい、一切妥協が赦されない厳格さが、今日の中東問題を複雑にしている。

イブラヒームがイスマイルの頚動脈をナイフで切ろうとしたら、天使が舞い降りてきて「止めよ。お前の信仰はよくわかった。息子を捧げる代わりにこの羊を神へ捧げよ」と言い、一党の羊を授けた。

イブラヒームはこの羊を屠り、神に捧げた。

イスラム社会には、この故事にちなんで、羊を一頭購入して屠り、家族および恵まれない人へプレゼントする習慣がある。
羊を屠る際には、イブラヒームと同じく羊の頚動脈にナイフを当て、「ビスミッラー・ラフマーニル・ラヒーム(慈悲深きあまねくアラーの名において, In the name of merciful God/Allah)」と唱え、一気に止めを刺し、羊の頭を聖地メッカの方角へ向け、バリバリと皮や肉や骨を裁く。これは普段家畜を屠殺する場合も同じである。

今日の日本で家畜を屠るときは食肉工場で電気ショックを与えるそうだが、これでは人間が生き延びるために犠牲になってくれた家畜への感謝の念が生じにくいのではないか?もしかして今年次々に発覚した、食材産地偽装事件の根本的原因はこれかもしれない。


聖地へ思いを馳せて

そしてこの日は犠牲祭であると同時に、イスラム教の聖地メッカへの巡礼シーズンでもある。
犠牲祭の日が来るのはイスラム教独自の暦「ヒジュラ歴」で最後の月(ズルヒッジャという)であり、一年の最後の月に全てを犠牲にして唯一の神、アッラーへの信仰を強めるために、世界中からイスラム教徒がメッカ詣でに訪れる。巡礼はできれば一生に一回しなさい、という神の命令でもある。ちなみにメッカ巡礼は、信仰告白・ラマダーン月の断食・貧しい人への喜捨・礼拝と並ぶイスラム教徒の五大義務である。
信仰告白については、過去ブログ記事からSiti NurhalizaのBalqisの歌詞解説を参照されたし。

あのカァバ神殿の中央を、祈りながらぐるぐると一心不乱に回る、白装束に身を包んだ世界中から集まったムスリムたちは、今一体何を思うのか・・・?


あなたの命を「いただきます」

実は日本人にも、この犠牲祭と似た意味を持つ習慣がある。食事の前に手を胸の前で合わせて言う「いただきます」だ。
あれは「目の前の食事をいただきます」と同時に、「あなたの命をいただきます」という、目の前の食べ物を育んだ自然と、その自然の創造主(Creater)への感謝の意味がこめられていると聞いたことがある。

これは自称・無宗教国民である日本人にとって、日常生活の中で敬虔な気持ちになる、数少ない機会なのではなかろうか?これは大切な瞬間だ。

というわけで、私も本日食す牛肉や豚肉や鶏肉や魚介類が私のために犠牲になってくれたことに思いを馳せ、心から「いただきます」と言って食べ、食べ終わったら「ごちそうさま(=今日もご飯を美味しくいただくことができたことを感謝いたします)」と言おう。
そして明日も元気に生きよう。


Happy Eid-Al-Adha!

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