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January 15, 2008

例の亡命ビルマ人の家を訪問


(写真はビルマの古都マンダレー・王宮正門)

先日13日に、当ブログで度々取り上げた日本在住17年の亡命ビルマ人女性・CCTさんの家へ遊びに行った。
やっと彼女の来歴についてじっくり質問&話ができる。

築数十年の小奇麗なアパートに彼女は夫・息子とともに暮らしていた。
扉を開けると、ほんのりカレースパイスとココナッツミルクの香りがした。

居間に通され、ビルマ産のジャスミンティーが出された。急須に茶葉を入れてお湯を注ぐのではなく、マグカップにそのまま茶葉を入れ、お湯を注ぐという方法だった。これがビルマ式飲茶なのか・・・?

ジャスミン茶でお互いの体を温め、私が手土産に持ってきたビアード・パパのエクレア風シュークリームを頬張りながら、とりとめのない女同士のおしゃべりが始まると、彼女の旦那様が帰ってきた。
旦那の帰宅をきっかけに、私はいよいよCCT一家のビルマでの日々、来日、在留特別許可をめぐる裁判、現在に至るまでの経緯を聞いてみた。



◆夢も希望もないビルマ

CCTさんは1950年代某日、ビルマの王都マンダレーに生まれた。
同じマンダレー出身の現在の夫と出会い、結婚。
旦那は当時大学生で、学生運動に熱心だった。

しかし1988年9月18日、軍部によるクーデターが起きる。
軍事独裁政権はかのアウン・サン・スー・チーを初め、邪魔なインテリ層へ対し弾圧を始めた。
外国人と一緒にホテルに泊まっただけで監獄へぶち込まれる。拷問される。
外国人と一緒に写っている写真や、外国について書かれている日記を持っていただけで、警察にしょっぴかれる。
大学は閉鎖され、反政府運動を起こす学生の集まりの場を奪われる。
かといって軍事政権はかつての韓国やインドネシアのように経済政策を適切に打っていくわけでもなく、国の富を独占し、軍部の幹部子弟は欧米諸国へ留学・在住させ、ついに欧米諸国から経済制裁を課せられ、国力をどんどん衰退させていく。

CCTさん夫妻も祖父の代から民主派で、民主化を望んでいるという容疑をかけられ投獄された。

釈放された後、旦那は日本行きを目指す。こんなふざけた体制下の国にいつまでもいられない、と失望して。


◆生活基盤を日本に据えて

旦那は両親や親戚や友人から金を借りまくり、日本への片道切符を購入する。
妻のCCTさんはしばらく両親と共にビルマに残り、旦那の様子を見守ることにした。

旦那は日本で一生懸命働いた。
決して不法入国や不法残留を支持するわけではないが、多くのこうした外国人は日本政府から難民申請もまともに聞き入れられないまま、じっと耐えて、犯罪を起こすでもなく真面目に働いている。

ある程度日本での生活に慣れると、旦那はCCTさんと、ビルマで生まれ育った息子(当時14歳)を日本へ呼び寄せた。


◆在留特別許可を求めて

ある日突然、CCT一家は警察と入国管理局員に踏み込まれる。
「不法滞在○年」で、品川の東京入国管理局の収容所に押し込められた。
母国ビルマでの獄中生活に次ぎ、日本でも塀の中生活を体験させられる。

そこで彼女たちを応援する日本人有志によって、在留特別許可(特定の理由によって日本で不法残留せざるを得なくなった外国人に対し与えられる永住ビザ)を一家へ求める裁判が始まった。
(裁判の詳しい経緯はこちら vol.1 vol.2

そして2006年11月7日、ついに一家全員に在留特別許可が下りる。
不法残留外国人に対する取締りが厳しくなっている今日、このように一家全員が認められるケースは極めて稀だそうだ。


※CCT一家、NHK衛生テレビニュースに出演(YouTube)

まだ在留特別許可が下りる前の一家を取材。CCTさん宅でYouTubeにアクセスしたら偶然見つけたもの。
「在日ミャンマー人 祖国への思い」


◆衝撃的映像発見!(YouTube)

こんな衝撃的な映像を発見!軍事政権が放送を禁止した政府批判映像である。
CCTさん夫妻曰く、軍事政権の中枢にいる人からの内部告発ではないかという。
88年のクーデターから始まったこの国のあらゆる不正、不条理が描かれている。不当に国外へ持ち出される翡翠や真珠、軍事政権のトップ、タン・シュエの娘の派手で贅沢な結婚式、その裕福な孫達と貧しいビルマの一般民衆の子供達・・・。
(リンクはこちら)


◆(仏壇)日本は灰、ビルマは米

居間にきれいな仏壇があったのでご挨拶した。日本の仏壇は線香を灰の山に挿すが、ビルマでは米の山に挿す。


◆油っこくて美味しいビルマ料理

CCTさん宅で、夕食までご馳走になってしまった。鶏肉と砂肝のカレーと、ココナッツミルクで炊いた玉ねぎご飯。
ビルマ料理は全体的に油っこく、玉ねぎを多用する。今回頂いたカレーはカレーと油が層に分かれていて、油層の上にカレールーと具が浮かんでいた。そいつをご飯にかけて食べる。
味は・・・・スパイスの刺激が無いインド風チキンカレーといったところか?なかなか美味しい。
でもこの油には参った!あまりの油っこさに、たいていの日本人の胃袋はビックリして胃もたれしてしまうだろう。気をつけて、食べ過ぎないように・・・。


◆さよならありがとCCTさん

最後の食後茶を一服しながらテレビを見る。日英ハーフのタレント・ベッキーが、タイ、カンボジア、ベトナムを一食500円で食事しながら旅するという番組。
眠くなる前に帰らなきゃ。そろそろおいとましよう。

今日は本当にどうもありがとうございました、CCTさん。

January 8, 2008

日本はこういう国の人々を大切にすべき




(写真はビルマのお坊様、ビルマの食べるお茶「ラペッ」、ビルマ風肉団子入りピリ辛スープ)

当ブログの過去記事でも紹介した、ある日本在住の亡命ビルマ人女性・CCTさんが、在留特別許可が下りたことを祝うパーティーを開き、私を招待してくれたのでさっそく行ってみた。

板橋区某所の公民館を借りて設営した会場には、所狭しとご馳走が並べられ、会場前方舞台には3名のビルマ僧が招かれていた。在日ビルマ人の相談役として尊敬を集めているお坊様方だ。

お坊様方による、「日本の皆さんへの感謝の祈り」が始まる。
パーティー客全員で手を合わせ、ビルマ人はビルマ語で念仏を唱える。

お坊様方にお布施を渡し、お坊様方が退場すると、いよいよ乾杯だ。
銘酒ミャンマービールで杯を空け、CCTさんが友人達と作ってくれたビルマ料理(生春巻き、鶏肉と春雨のスープ、鶏のから揚げに野菜の餡を詰めたもの、ピータン、ミミガー、焼そば、タピオカ入りココナッツミルク)に舌鼓を打った。

楽しかった。こんなに幸せで満ち足りた気分になったのは久しぶりだった。


ところで、在日ビルマ人がらみのこんな映画があるそうだ。
もうリンクは切れてしまったが、一応URLも明記しておきます。
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【ミャンマー】日本への感謝 映画に ミャンマーのミャミャさん制作[05/31]

日本に十九年住んでいるミャンマー人で、静岡県伊東市の民宿の経営者ミャミャ・ウィンさん(61)が、
「お世話になった日本人への感謝を込めて」と映画「にじいろの愛」(ティ・ソートン監督)を制作した。
「映画を通じて、親切な日本人の姿をアジアの方に紹介したい」と、ミャミャさん。上映会を六月三日、港区の高輪区民センターで開く。
(吉岡逸夫)

映画は、ミャミャさんが住んでいる伊豆と、ふるさとミャンマーが舞台。ミャミャさんが制作費二千万円を提供し、脚本とプロデュースを担当した。
出演は、ミャンマーで活躍するプロの人気俳優。制作スタッフら約二十人も同国のプロ。一部、日本人がボランティア出演している。
ミャミャさんは「ギャラが高い日本人は使えなかった」と話す。

映画は、ミャンマー人の若い女性が、伊東のミカン農園で働く父親を訪ねるところから始まる。女性は、農園の息子に恋をする。
そして、日本でミャンマー語を教えるミャンマー女性と父との過去などを知り、親子、恋人、国への愛などについて悩む。
日本とミャンマーの自然や文化が随所に紹介され、政治色はない。日本の商業映画と比べると素朴なつくりだが、ミャンマー人の心がよく分かる。
ミャミャさんは一九八八年、夫の貿易の仕事を手伝うため、長男を連れて来日。ところが、祖国で民主化運動が広がり、帰国不能になった。

事情を聴いた伊東市在住の旧日本兵の一人が、「お世話になったミャンマー人への恩返し」と、資金を出し、民宿経営を応援した。
若いころ、祖国で女優経験のあったミャミャさんは、民宿を営みながら、映画制作資金をためた。

「皆さんへの感謝の気持ちでいっぱいです。映画を通して両国の文化を知ってもらおうと思った」と語る。

映画は既にミャンマー、タイ、マレーシアなどの映画館で上映され、好評だった。日本での公開は今回が初めて。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/20070530/CK2007053002020117.html
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日本人はCCTさんやミャミャ・ウィンさんのような、日本社会に感謝してくれる普通の常識を持つ在日外国人と、もっと積極的にお付き合いしましょうや。
「日本に帰化するのはイヤだけど日本の参政権は欲しい」「何としても日本人を差別して死にたい」などとほざく在日韓国・朝鮮人だけが日本人の隣人じゃありません。

それにしても、戦前ビルマ独立のために戦った日本兵の老人が、ビルマ人への恩返しに、日本に助けを求めたビルマ人を助けるとは、何とも美しい出会いだ・・・!

December 13, 2007

Congratulations, Zainichi!



日本の移民史におけるビッグニュース。


在日韓国人は、2012年をメドに韓国の国政へ参加できるそうだ。



この鼻持ちならない上記写真の女性は、在日韓国人の鄭香均(てい・こうきん/チョン・ヒャンギュン/Jong HyungGyun)氏。
「韓国のイメージ」「韓国ナショナリズムの不幸」「在日韓国人の終焉」「在日の耐えられない軽さ」などの著作で知られる、鄭大均(てい・たいきん/チョン・テギュン/Jong DaeGyun)・東京都立大学教授の実妹である。
日本国籍でないことを理由に東京都の管理職選考試験の受験を拒否されたとして、試験資格の確認と慰謝料の支払いを求めて都を訴えるも敗訴。その直後の記者会見の様子である。

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【記事引用】 リンク

2012年から韓国の国政選挙に在日韓国人が投票できる見通しとなり、そのメリットを知ってもらおうと、複数の在日韓国人の市民団体などが「在日韓国人本国参政権連絡準備会」を設立した。
準備会委員長の李健雨(イ・ゴヌ)さん(55歳)が13日大阪市内で会見し、「政権を選ぶ権利の重要性を知ってほしい」と話した。

韓国では、国外に居住する自国民の選挙権を認めていなかったが、今年6月、憲法裁判所が「憲法不合致」とする判断を出した。
この判断を受け、5年後の国会議員選挙と大統領選挙から在日韓国人を含む在外韓国人も選挙できる見通しとなった。

日本では、外国人の参政権を認めていないため、在日韓国人にとって初めて選挙を通じた政治参加となる。
だが、祖国での参政権に対する在日社会の関心は低く、李さんは「選挙権を行使することで、韓国政府の在日への関心は高まる」と訴えた。

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在日韓国人とは、日本の特別永住権を持つ韓国国籍者。日本統治下のコリア半島から移民したり、アカ狩りや戦争や弾圧を逃れて日本へ非難した難民とその子孫である。
このブログでは在日、Korean diaspora、Homeless Koreanとも呼ぶ。

本来コリア半島が日本の統治から解放されてすぐ、彼らは全員祖国へ送り返されてしかるべきなのだが、韓国初代大統領の李承晩(Lee Sungman)が、日本海に「李承晩ライン(Lee Sungman Line)」という線を一方的に引いて日本を侵略し、日本領土竹島(Takeshima)を現在に至るまで不法占拠し、多くの日本人漁民を拿捕・拉致・殺害し、彼らを人質にして要求した日本の特別永住権を盾に、現在も数世代(現在はもう6世、7世まで誕生しているらしい)に渡って日本に居候している。

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李承晩ライン(りしょうばんライン、이승만 라인/李承晩 라인)は、1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国(韓国)大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づき韓国側が一方的に設定した漁船立入禁止線。韓国では「平和線」と宣言された。

海洋資源の保護のため、韓国付近の公海での漁業を韓国籍以外の漁船で行うことを禁止したものであるが、本当の狙いは韓国で獨島(日本の漢字では「独島」)と呼ばれている日本領土・竹島と対馬の領有を主張するためであるとする説もある。

これに違反したとされた漁船(主として日本国籍)は韓国側による臨検・拿捕の対象となり、銃撃され殺害される事件が起こった。

国際法上の慣例を無視した措置として日米側は強く抗議したが、このラインの廃止は1965年(昭和40年)の日韓漁業協定の成立まで待たなくてはならなかった。協定が成立するまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3,929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。

李承晩ラインの問題を解決するにあたり、日本政府は韓国政府の要求に応じて、日本人抑留者の返還と引き換えに、常習的犯罪者あるいは重大犯罪者として収監されていた在日韓国・朝鮮人472人を収容所より放免して在留特別許可を与えた。


Wikipedia日本語版より
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そして彼らは日本で、民団(Mindan)という韓国支持のロビー団体を作り、長らく(韓国政府ではなく)日本政府に参政権を付与することを要求してきた。

北朝鮮を支持する朝鮮籍の在日朝鮮人は総連(Souren, Chonryong)というロビー団体を作り、数々の北朝鮮による工作活動や日本人拉致にも協力してきた。よって多くの逮捕者も輩出している。


民主党から立候補した韓国系日本人議員である白真勲氏は、いやしくも日本に帰化した日本国民であるにも関わらず「在日も、韓国系日本人も団結して、日本の地方参政権を獲得しよう!」と非常識な発言をしている。

また前回の参議院選挙で立候補し(当然の如く)落選した韓国系日本人・李敬宰(イ・ギョンジェ)氏は、2001年12月14日京都YWCAで開かれた、在日外国籍市民の参政権を考える連続講座でこう発言している。
「ただ、在日が日本国籍をとるということになると、天皇制の問題をどうするのかという人がいますが、 外国人がたくさん日本国籍を取ったほうが、早く天皇制は潰れると思います。というのは、この先もどんどん外国系市民が増えます。ある統計では、100年後には5人の内3人が外国系になるといいます。そうなれば、日本で大和民族がマイノリティーになるのです。だから、私はあと100年生きて、なんとしても日本人を差別して死にたいです。これが夢です。そういう社会が来たら、その時に天皇なんていうのは小数民族の酋長さんみたいなものになります。こうした素晴らしい戦術があるのに、それを、今の左派のように、日本国籍を取ったらダメだということをやっていたら、いつまでたっても天皇制は温存されたままではないですか。」

李敬宰氏の言う「日本人」とは、大和民族系の日本国民のみ(ONLY Ethnic Japanese)を指す。


もし日本が在日韓国・朝鮮人を含む在日外国人の参政権を、たとえ地方参政権に限ってでも認めてしまったら、それこそまさに日本社会の崩壊へと繋がりかねない。

そんな懸念も、これでもう終わるだろう。
おめでとう!在日のみなさん。
やっと祖国から在外公民と認められましたね。
Homeless KoreanからReal Korean nationalsへと転身だ!





・・・・え?韓国の参政権だけではなく、日本の参政権も今まで通り要求していくって?
ウソだろ?!



ところで在日の男子は、参政権を得ると同時に韓国で徴兵されるのだろうか?
え?参政権は欲しいけど兵役に就くのはイヤだって?!

November 14, 2007

Special Permission

皆さんこんにちは。初投稿は私の友人からの朗報についてです。
左の写真向かって右から3名の一家は、ビルマ(ミャンマー)からやってきた私の友人です。昨日、左から2番目の彼女、友人CCTさんから携帯メールで「みなさんのおかげでざいとくがおりました」と告げられました。
思わず私の顔から笑みがこぼれ、「神様ありがとう、Alhamdulillah!」と心の中で叫びました。やっぱり神様っているんだな・・・・。Alhamdulillah(アルハムドュリッラー)ってのはアラビア語で「神様のおかげ、神様ありがとう」という意味で、世界中のイスラム教徒がよく使う言い回しです。なぜ私がムスリム用語を使ってるのかって?それはまたおいおい説明しますが、現在マレーシア人の友人にイスラム教とマレー語を学んでいるから、ということと、その言葉の響きがとても美しいからです。

この一家は今から約10年前、ビルマから日本へやってきました。ご存知のようにビルマは軍事独裁政権が長年続いていて、国民は政治批判はもちろん、デモや集会や自由な言論・報道もままならない状態です。しかもCCTさんの祖父は民主化運動家で、孫娘のCCTさんも当局にマークされており、もし一家がビルマへ送還されたら確実に投獄され、拷問の日々、最悪の場合死が待っていることでしょう。

私がCCTさん一家と出会ったのは、地元地域に住む外国人住民の生活相談窓口の通訳ボランティアとして働いていた頃です。私は、日本人の夫を持つフィリピン人の友人とともに、区役所窓口で英語と中国語の通訳を務めていました。
ある日彼女が「面白い会があるから寄ってって」と言って、連れて行ってくれました。その会はAPFS(Asian People Friendship Society)という、主に不法残留外国人の特別在留許可を要求したり、外国人労働者の賃金未払いなどのトラブルを解決するNGOが主催の国際交流パーティーでした。

公式HPはこちら→http://www.jca.apc.org/apfs/

どうやらここでは、不法残留者や不法就労者を「非正規滞在外国籍住民」などと呼んでいるらしい。もはや日本は移民なしでは成り立たないんだ!国際化の時代に逆行するな!という叫び声が聴こえてきそう。何だか問題の本質をわざとぼかしているようで、胡散臭い・・・・。

ま、それはともかく、CCTさん一家と仲良くなり、たびたびメールを交換する仲になりました。約束や待ち合わせ時間は必ず守り(日本人より時間厳守)、ビルマの祝日にはビルマ料理をふるまってくれる、大変真面目で親切な人びとでした。
そんなCCTさん達が長年の苦闘の末、やっと念願の在留特別許可(special permission for residence)を得ることができました。


さて、CCTさんの祖国ビルマは、なぜ軍事独裁政権が長く続いているのか?それを考察するには、イギリスによるビルマ侵略および植民地統治から始めなければなりません。

1600年東インド会社というアジア植民地統治株式会社を設立し、19世紀初頭すでにムガール帝国のインド、バングラデシュを支配したイギリスは、1824年ビルマに侵攻、3度の戦争(英緬戦争/Angro-Burmese Wars)を経てビルマ王朝を滅ぼし、国王と王妃はインドのボンベイ(ムンバイ)へ流刑、王子や男系一族を虐殺、王女は英植民地軍兵士の愛人にされて貧困の中で死に、その娘、つまり国王の孫娘ツツは「最貧困層に身を落とし、スラムで造花を売って生計を立てている」(インド英字新聞The Hidustan Timesより)という、あまりにも悲惨で過酷な支配を始めました。

もしこの時代に日本が国策を誤ってイギリスやその他白人国家に侵攻されていたら、天皇家は確実に滅ぼされ、日本人のアイデンティティー・国家への帰属心や求心力・民族の誇りは粉々に砕かれ、二度と再建できなかったことでしょう。そして植民地にされ、現在の経済大国日本は決してありえませんでした。

しかし大東亜戦争(太平洋戦争)のさなか、ビルマは日本の支援を得て、かのアウンサンスーチーの父・アウンサンは独立義勇軍を結成してゲリラ活動を開始し、これがビルマ独立の基礎となります。しかし日本の敗色が濃くなるとイギリス連合国側に寝返ったのです。最後まで日本側についていると、戦後敗戦国として裁かれ、再び植民地に戻ってしまいますからね。日本としては心苦しいですが。

しかし今日のビルマ人は大変親日的で、日本のおかげで祖国が独立できたと認識しています。作家の深田裕介氏も驚いていましたが、今もビルマ独立記念日でビルマ軍の行進曲として流れる曲は、日本の軍艦マーチ「守るも攻めるも鉄(くろがね)の~浮かべる城ぞ頼みなる~」です。

しかし独立後もビルマの歩みは決して平坦ではありませんでした。帝京大学教授で元産経新聞編集委員の高山正之氏のコラムから引用します。

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<前略>
おとなしいビルマ人がこの王家の悲劇を語るとき、本当に怒りで唇を震わせる。
英国は国王を追放したとき、ついでに黄金の玉座も失敬した。戦後ビルマ政府は国連を通じて玉座の変換を英国に求めたが、戻ってきた玉座は穴だらけ。はめ込まれたルビー、ダイヤモンドなどの宝石が全て盗られていた。
そういう過去があるから、ビルマは独立するとすぐに英国の臭いのするものは全て排斥した。ヤンゴンの外国語大学も、英語を教科から外し、日本語を入れた。交通ルールもそのとくに英国流の左側通行から右側通行に変えた。

国父アウンサンの暗殺後、英国に渡ったきりの一人娘スー・チーが三十年もたって英国人の妻になって戻ってきたとき、ビルマ人は正直、戸惑った。彼女は英国人になりきっていたからだ。
「政治集会やデモの場合、どこの国もそうだが、ここも届け出制にしている。しかし、彼女は故意にそれを無視する。政府がたまりかねて規制すると『民主主義を弾圧した』と騒ぎ立てる」(山口洋一前ミャンマー大使)。骨の髄まで嫌みな英国人なのである。

英国に次いでビルマの人々は中国を嫌う。中国人は植民地時代に入り込み、英国人のよき手先となってビルマ人を搾取した。英国人が引き揚げたあとも彼らは居座って経済実権を握り続けた。
ネ・ウィンが鎖国政策をとったのも、ビルマ経済を停滞させて商売のうまみを消し、彼らが愛想を尽かして出ていくのを待つ、という意味があった。
だから生活は貧しく不便だったが、国民は我慢した。それが自分の国を取り戻すためだと知っていたし、同じような状況のベトナムが華僑追放という強制手段を選んで、戦争(中越紛争)に巻き込まれたのよりは、ましな方法だと認識していたからだ。
しかし、中国人はビルマ乗っ取りにもう一つ、手段を講じた。共産ゲリラの侵入だ。彼らは社会不安をあおりながら南下し、七〇年代にはヤンゴンのすぐ北のペグーにまで進出した。これを掃討したのが今の政権を担当するタンシュエである。

中国人といえば、タイの華僑もしたたかだ。モン、カチンなど山岳民族をけしかけてビルマ人政府と対立させ、武器弾薬を売ってはチーク材を手に入れていた。「中国」というだけでビルマ人は顔をしかめたものである。

ところが九七年に当時のD・エーブル計画経済相に会ったとき、側近から「中国の批判は避けてほしい」といわれた。
スー・チー問題を口実に欧米がミャンマーに経済制裁を科し、日本が右にならえをしていたころである。この国の経済はそれでほぼ破綻しようとしていた。その窮状に援助の手を差し伸べたのがほかならない中国だった。
“英国人スー・チー”に屈するのか、嫌いな中国の援助を受けるのか、究極の選択を強いられたビルマ人は結局、中国を選んだ。

今、ヤンゴンの表玄関、イラワジ川にかかる鉄橋が中国の支援で建造された。
ネ・ウィンと国民が死ぬ思いで耐え、そして出ていってもらった中国人がそれを渡ってわんさと戻ってきた。王都マンダレーの街中には漢字の広告が大威張りで立ち並んだ。中国の経済植民地化にもがくミャンマーの姿である。
だから、中国の批判をこっちが言えば、政府首脳は何とも答えられない。「その辺のところを察してほしい」というわけだ。

そのビルマに、もっと苦しいはずのユーゴスラビアが3,000ドルもの経済援助を約束した。

妙な話には裏があって、「実は日本から巨額のODAを引き出している中国が背後にいて」(産経バンコク特派員電)、ユーゴを迂回して援助しているという。

中国政府は強い調子でこの説を否定するが、日本のカネが回り回ってビルマの首を締め上げているのは間違いない。

腹に一物も二物もある国々の言いなりになっていれば、日本はいい子でいられる。でも、そのおかげでどこかの国が今、植民地になろうとしている。

(高山正之「異論自在」 ~ミャンマーの悲劇 どこかの国が「いい子」のせいで・・・  より)

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中国が1998年から2003年の6年間に、アフリカ諸国や中米などに支出した対外援助額は、計271億元(4,250億円相当)に上るそうです。 日本は中国に24年間で計3兆3億円のODAを援助しており、世界開発銀行等の分を含めれば、6兆円をはるかに超えます。 その中国が、いったい何様のつもりなのか、昨年は815億円相当も他国に経済援助をしています。 これは大半は小口の無償援助分で、中国企業が受注する“ひも付き”の大型プロジェクトは含まれていないので、援助実態はさらに巨額になるそうです。 そしてビルマにも大規模な発電所建設支援に乗り出しています。 ビルマの総発電量の約4割は日本の支援で建設された発電所によるものですが、中国の有償援助で進められている11カ所の発電所が完成すれば、中国の援助を受けた総発電量は6割に跳ね上がります。

このように中国はビルマの軍事独裁政権を支援し、軍艦をビルマの海に浮かべ、ビルマを踏み台にし
て石油輸送ルート、いわゆるアジアのライフライン(生命線)を掌握することによってアジアの覇権を握りつつあります。ビルマを支援するように見せて、実は中国はビルマを再び植民地にしようとしています。

これと同じように、中国は印パ国境のカシミール地帯を巡る紛争で、パキスタンを軍事的・経済的に支援=支配しています。どちらも石油ルートを確保するためです。

しかも中国は日本からの支援ODAを、これら「踏み台」としている国々に支給しているのです。日本国民、納税者の1人として、あこぎな中国と無計画で初心(うぶ)で意気地なしの日本に対し、非常に憤慨しています。

今日のビルマは、中国から傀儡扱いされ、イギリス植民地時代の傷跡に苦しみ、国内にイギリスが送り込んだ人間爆弾・華僑&印僑という不安分子を抱え、経済成長はほとんど中国系資本に支えられて民族系資本が育たず、にっちもさっちもいかない状態です。

そんなビルマの首都ヤンゴン(旧ラングーン)で、2007年8月15日に僧侶による民主化要求デモが始まりました。

ビルマ政府は軍隊を派遣してそれを阻止しようとし、発砲。同年9月27日、APF通信の契約ビデオジャーナリスト・長井健司さんが射殺され、遺品のカメラが軍に没収されました。

CCTさんら原告は在留特別許可をめぐる裁判で、すかさず「このような事件から見ても判るとおり、ジャーナリストまでも無残に殺す軍事独裁政府が支配するミャンマーに原告を送還するのは、明らかに人権侵害である」と主張しました。

そして2007年11月13日火曜日の判決・・・・・「原告に在留を特別に許可する」。

私は翌日CCTさんに電話をかけ、祝いの言葉を述べた。「おめでとう!これで息子さんを大学に行かせられるし、CCTさんの夢もかなうね。」

CCTさんはいつも奥ゆかしい人で、いつも感謝の気持ちを忘れない。ひたすらありがとう、ありがとうと言うばかり。来月には弁護士やAPFSのスタッフを招いて感謝パーティーを開き、銘酒ミャンマービールと手作りビルマ料理をふるまってくれるそうだ。

何という謙虚なひと。私はかつて在日韓国人の歴史教科書改訂に反対するデモ行進を見たことがある。扶桑社出版の「新しい歴史教科書」の内容がケシカラン、歴史を歪曲し在日に対する民族差別を助長する云々、を主張していた。後に彼らの要求はほぼ通るのだが、彼らからまともな礼を言われた日本人支援者はどれほど存在するのだろう。そもそも在日は自分達が日本に永住できることのすばらしさを、このCCTさんのように痛感しているのだろうか。このような在日さんは全体のごく一部だと解っているが・・・・。

話をCCTさんに戻そう。

私は彼女に在特が下りた事が、まるで我が事のように嬉しかった。こんなに幸せな、清々しい気分になったのは久しぶりだった。なので勤務先の近くの神社へお礼のあいさつをしに行った。

まるで神様の申し合わせのように、突然起こったヤンゴンの「サフラン革命(Saffron Revolution)」(僧侶の袈裟の色がサフラン=ウコン色なので、欧米メディアではそう呼ぶ。東欧のチューリップ革命、オレンジ革命とかけているのか?)。

長井さんとその遺族にとっては少々語弊があるが、CCTさんを応援してきた私にとっては、まさに天佑としか言いようがない。

CCTさん以上に、私自身が神様にありがとう、ありがとうと言いたい気分だった。

在特をきっかけに、これからCCTさん一家は日本社会の一員として、改めてスタートを切ることになります。

私は心からあなたがたの門出を応援します。

そして日本で思い切り人生を楽しみ、たくさんの夢をかなえ、ビルマと日本の架け橋になって下さい。